AIで転記作業を効率化する前に考えたいこと ― ECRSで見直す「そもそも、その転記は必要ですか?」

最近、「AIやAIエージェントを使って、エクセルの転記作業を効率化した」という事例を、テレビやWeb記事で目にする機会が増えました。手作業で1時間かかっていた作業が数分で終わる。たしかに、画面の上ではとても鮮やかです。

ただ、こうした事例を見るたびに、少しだけ首をかしげたくなります。

「AIがプログラムまで書ける時代に、なぜ転記そのものをなくさないのだろう?」

この記事では、業務改善の基本的な考え方である「ECRS(イクルス)の原則」をもとに、AIによる転記の効率化をどう捉えればよいのかを考えます。経営者の方だけでなく、日々エクセル作業に追われている現場の方にも読んでいただけるよう、なるべくやさしい言葉でお伝えします。

「AIで転記が速くなった」は、本当にゴールなのか

まず前提として、AIで転記作業を速くすること自体を否定するつもりはありません。単純作業から人が解放されるのは良いことですし、現場の負担が減るのであれば、それは立派な改善です。

気になるのは、「転記が速くなった」ことがゴールとして語られている点です。

転記とは、あるところに入っているデータを、別のところに書き写す作業です。つまり、データはすでにどこかに存在しています。本来であれば、「一度入力したデータを、そのまま使い回せないか」と考えるのが自然な順番ではないでしょうか。

たとえるなら、高性能な食洗機を買ったのに、お皿を一度手で洗ってから食洗機に入れているようなものです。食洗機はきちんと仕事をしてくれますが、「そもそも手洗いは要らないのでは?」という疑問は残ります。

AIで転記を速くするのは、この「手洗い」を速くする工夫に近いのです。

業務改善の基本「ECRSの原則」とは

ここで役に立つのが、業務改善の世界で古くから使われている「ECRS(イクルス)の原則」です。次の4つの視点の頭文字をとったものです。

  1. E:Eliminate(排除) … その作業をなくせないか
  2. C:Combine(結合) … 別の作業とまとめられないか
  3. R:Rearrange(入替) … 順番や担当を入れ替えられないか
  4. S:Simplify(簡素化) … もっと簡単にできないか

大切なのは、この順番で考えるということです。

いちばん効果が大きいのは「なくすこと」です。なくせない場合に「まとめる」、まとめられない場合に「入れ替える」、そして最後に「簡単にする」。後ろにいくほど効果は小さくなっていきます。

この原則に当てはめると、「AIで転記を速くする」は4番目のS(簡素化)にあたります。一方で、「転記そのものをなくす」はE(排除)です。どちらが先に検討されるべきかは、言うまでもありません。

どれだけ速く走れるようになっても、目的地と反対方向に走っていては、なかなか到着しないのと同じです。

具体例:受注から請求までの「三度書き」

もう少しイメージしやすいように、一般的な例で考えてみます。ある中小企業で、次のような流れで仕事をしているとしましょう。

  1. 営業担当が、受注内容を「受注管理表(エクセル)」に入力する
  2. 事務担当が、受注管理表を見ながら「出荷指示書(エクセル)」に書き写す
  3. 経理担当が、出荷指示書を見ながら「請求書(エクセル)」に書き写す

お客様の名前、商品名、数量、金額といった同じ情報が、3回入力されています。ここまでくると、もはや転記ではなく修行です。

案1:AIで転記を速くする

AIエージェントに「受注管理表から出荷指示書へ、出荷指示書から請求書へ転記して」と指示します。作業時間は大きく減るでしょう。

ただし、次のような課題は残ります。

  • 3つのファイルが別々に存在するため、どれが最新かわかりにくい
  • 途中で数量が変わったとき、どのファイルを直せばよいか迷う
  • AIが読み取りを間違えていないか、結局人が確認する必要がある
  • ファイルの形式が少し変わると、AIへの指示を見直さなければならない

つまり、「三度書き」という構造はそのままで、書く人が人からAIに変わっただけ、という状態です。

案2:ECRSで流れそのものを見直す

一方、ECRSの考え方で見直すと、次のような形が考えられます。

  • E(排除):出荷指示書と請求書への「書き写し」をやめる
  • C(結合):受注・出荷・請求の情報を1つの表(またはシステム)にまとめる
  • R(入替):数量などの確定情報は、いちばん正確に把握している人が最初に入力する
  • S(簡素化):出荷指示書や請求書は、その1つの表から自動で作成する

こうすると、データの入力は原則1回で済みます。修正も1か所で済み、「どれが最新か問題」も起きません。確認の手間も、転記ミスの心配も大きく減ります。

案1が「転記を速くする」改善だとすれば、案2は「転記がいらなくなる」改善です。

なぜ「AIで転記」が選ばれやすいのか

では、なぜ世の中では案1のような事例が目立つのでしょうか。考えられる理由をいくつか挙げてみます。

今の業務を変えなくて済むから

いちばん大きな理由はこれだと思います。流れを見直すとなると、関係する部署との調整や、やり方の変更に対する説得が必要になります。AIで転記を速くするだけなら、誰の仕事のやり方も変えずに済みます。「変えなくていい改善」は、とても受け入れられやすいのです。

成果が目に見えやすいから

「1時間かかっていた作業が5分に」という成果は、とても伝わりやすいものです。一方、「転記という作業がなくなりました」は、なくなったものが見えないぶん、すごさが伝わりにくい面があります。テレビ映えするのはどうしても前者です。

「AIを使うこと」自体が目的になりやすいから

新しい技術が話題になると、「どこかでAIを使わなければ」という気持ちが先に立つことがあります。すると、「どの業務をなくすべきか」ではなく、「どの業務ならAIに任せられるか」という発想になりがちです。手段が目的にすり替わってしまう、よくあるパターンです。

AIの本当の使いどころは「仕組みを作る側」

誤解のないようにお伝えすると、AIは業務改善にとても役立つ道具です。ただ、その力をどこで使うかが大切だと考えています。

たとえば、先ほどの案2を実現するには、「1つの表から出荷指示書や請求書を自動で作る仕組み」が必要です。以前であれば、こうした仕組みを作るには専門知識が必要で、外部に頼むと費用もかかりました。

ところが今は、AIに相談すれば、エクセルの関数やマクロ、簡単なプログラムの作り方まで教えてもらえます。AIに毎回転記をしてもらうのではなく、転記がいらなくなる仕組みを作ってもらう。このほうが、AIの力をずっと有効に使えるはずです。

毎日魚を釣ってもらうより、釣り竿を作ってもらうほうが長く役に立つ、という話にも似ています。

それでも「AIで転記」が正解になる場面

一方で、AIによる転記がふさわしい場面もあります。すべてのケースで流れを変えられるわけではないからです。

  • 取引先から指定された様式に記入する必要がある場合:相手の書式は自社では変えられません
  • 紙やPDFで届く情報を取り込む場合:そもそもデータになっていない情報を読み取るのは、AIの得意分野です
  • システムの入れ替えまでの「つなぎ」として使う場合:本格的な見直しには時間がかかるため、その間の負担軽減として有効です
  • 年に数回しか発生しない作業の場合:仕組み化の手間のほうが大きくなることもあります

つまり、「AIで転記」が悪いのではありません。ECRSの順番で検討した結果として、最後に残った作業をAIで簡素化するのであれば、それは筋の通った改善です。問題なのは、EやCを飛ばして、いきなりSから始めてしまうことです。

明日からできる見直しの手順

最後に、自分の職場の業務を見直すときの簡単な手順をご紹介します。特別な道具は必要ありません。

  1. データの流れを書き出す:「誰が」「どこに」「何を」入力し、それが次に「どこへ」書き写されているかを、紙に矢印で書いてみます
  2. 同じ情報が何回入力されているか数える:2回以上入力している情報があれば、それが見直しの候補です
  3. 「なくせないか」から考える:その転記は、誰のために、何のために行っているのかを確認します。意外と「前からそうしているから」という理由だけで続いていることもあります
  4. なくせなければ「まとめられないか」を考える:複数のファイルを1つにまとめられないか検討します
  5. 最後に残った作業を簡単にする:ここで初めて、AIや自動化ツールの出番です

特に1番目の「書き出す」だけでも、多くの気づきが得られます。矢印がぐるぐる回っている図ができあがったら、それが改善のチャンスです。

まとめ

AIで転記作業を速くすることは、決して悪いことではありません。ただし、それはECRSでいえば最後の「簡素化」にあたる改善です。

  • まず「その転記はなくせないか」を考える
  • 次に「まとめられないか」「順番を変えられないか」を考える
  • それでも残った作業を、AIで簡単にする
  • AIは「作業をさせる」だけでなく、「仕組みを作る」ためにも使える

今の業務の形が最適でないまま効率化を重ねても、どこかで限界がきます。速く書き写す方法を探す前に、一度立ち止まって「そもそも、書き写す必要はあるのか」と問いかけてみてください。

その問いこそが、AIの時代にも変わらない、業務改善のいちばん大切な出発点だと考えています。

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