「ITは経営戦略」と言われるのに、ITに詳しい経営者が少ないのはなぜか

「これからはITが経営戦略そのものです」。セミナーでも書籍でも、この言葉はもう何年も繰り返されています。真正面から反対する人は、ほとんど見かけません。

それなのに、「うちの社長はITに詳しい」と胸を張って言える会社は、どれくらいあるでしょうか。多くの会社では、IT関連の議題になったとたん、会議室の空気が少しだけ静かになります。

この記事は、ITに苦手意識のある経営者の方、そして「なぜ経営層はITの話になると急に口数が減るのか」と感じている現場の方に向けて書いています。結論から申し上げると、これは個人の能力や熱意の問題というより、日本の産業構造とキャリアの積み上がり方から説明できる、かなり必然性の高い現象です。原因が構造にあるなら、打ち手もはっきりします。

そもそも「ITに詳しい経営者」とは何者なのか

理由を考える前に、言葉の整理をさせてください。ここを曖昧にしたまま話を進めると、議論が噛み合わなくなります。

「ITに強い社長」と聞いて、プリンターの紙詰まりを手際よく直したり、Wi-Fiがつながらない社員に呼ばれて席を立ったりする人を思い浮かべる方がいます。頼りにはなりますが、それは「詳しい人」ではなく「便利な人」です。経営に必要なのは、そちらの能力ではありません。

経営者に求められる「ITに詳しい」は、技術を自分で扱えることではなく、デジタルを使って何を実現するのかを決め、その判断に責任を持てることです。プログラムが書ける必要も、サーバーの仕組みを説明できる必要もありません。車の運転に、エンジンの分解整備の技能が要らないのと同じです。

この前提に立つと、「経営者にITが詳しい人が少ない」という現象の見え方が少し変わってきます。

理由1 日本では、ITの専門家の多くが「社外」にいる

最も大きな理由は、人材がどこに所属しているかという構造です。

情報処理推進機構(IPA)の調査によると、日本で情報処理・通信に携わる人材のうち、IT企業に所属している割合は2020年時点で73.6%。一方、米国では2021年時点で35.1%にとどまり、残りの約3分の2はIT企業以外の一般企業に所属しています(IPA「情報処理・通信に携わる人材数の日米比較」)。

つまり日本では、ITの専門家のおよそ4人に3人が、システム会社やソフトウェア会社の側にいます。事業会社の中には、そもそもITを本業として経験した人が少ない。

ここから導かれる結論は、わりと身もふたもありません。社内にITのプロが少なければ、ITのキャリアを歩んだ人が役員や社長になる確率も、当然低くなります。経営者が育つ土壌に、ITという畑がほとんど用意されてこなかったのです。

同じくIPAの調査では、DXを推進する人材が「充足している」と答えた企業は、日本が10.9%、米国が73.4%という差もついています(IPA「DX白書2023」第4部)。人が足りないのは現場だけでなく、経営層に至るまでの道のり全体なのです。

理由2 経営者になるルートに、ITが組み込まれてこなかった

日本の企業で経営層に上がっていく人の多くは、営業、製造、開発、財務、人事といった部門で実績を積んできました。

その過程で、ITはどう扱われていたでしょうか。多くの場合、「総務や経理の延長にある事務作業」あるいは「削れるものなら削りたいコスト」という位置づけでした。設備投資の稟議は通っても、システム更新の予算は先送りになる。そんな光景が長く続いてきました。

売上をつくった人が評価され、経営に近づいていく。その仕組み自体は健全ですが、ITが「コストを使う側」と見なされていた時代が長かったため、ITに詳しくなっても出世の役に立たないという状態が続いてしまいました。人は、報われない方向には投資しません。これは合理的な行動の結果です。

近年になって、経済産業省がデジタルガバナンス・コードを策定し、2024年の3.0版では経営者向けのメッセージを大幅に見直すなど、「ITは経営者の仕事である」という発信が強まっています。ただ、数十年かけてできた人材の層は、数年では入れ替わりません。

理由3 言葉の壁が、質問そのものを封じている

三つ目は、もう少し日常的な理由です。

IT業界の会話は、カタカナと略語でできています。SaaS、オンプレ、API、アジャイル、レガシー、PoC。しかもこれらは意味が重なっていたり、話す人によって定義が微妙に違ったりします。

厄介なのは、知らないと言い出しにくい空気が生まれることです。社長が「それは何ですか」と一言聞くだけで、会議が止まり、部下が気まずそうに言い直す。その気まずさを一度味わうと、次からは黙ってうなずくほうが早い、という判断が働きます。

ちなみに、意味のわからない略語が3つ以上続いた会議は、たいてい発言者以外の全員が同じ気持ちでいます。聞き返す人がいないだけで、理解している人が多いわけではありません。ここは、経営者が最初に沈黙を破る価値が非常に高い場面です。

理由4 効果が見えにくく、失敗の記憶だけが鮮明に残る

機械を入れれば生産量が増え、店舗を出せば売上が立ちます。数字で語れるので、経営判断もしやすい。

ところがITの効果は、「業務が楽になった」「ミスが減った」といった、数字にしにくい形で現れがちです。効果を実感する前に、導入時の混乱が先に来ることも珍しくありません。

そして、うまくいかなかった経験は記憶に残ります。高い費用を払って導入したのに現場が使わず、結局もとのやり方に戻った。そんな経験が一度でもあると、ITの提案に対して身構えるようになります。これは臆病さではなく、投資判断としてはむしろ自然な反応です。ただ、その慎重さが「勉強する気が起きない」まで進むと、次の判断の精度も上がりません。

理由5 「どこまで知ればよいか」の基準がない

最後に、意外と見落とされがちな理由です。

簿記なら3級、2級という段階があります。英語ならTOEICの点数がある。では「経営者に必要なITの理解」は、どこまで到達すればゴールなのでしょうか。

この基準が示されないまま「経営者もITを学ぶべきだ」と言われても、学習の入り口が見つかりません。技術は次々に新しくなり、追いかけ始めるとキリがない。ゴールの見えないマラソンは、誰でも走り出しにくいものです。

たとえば、ある中小製造業で考えてみます

ここまでの話を、ひとつの一般的な例で整理してみます。

従業員50名ほどの製造業の会社が、在庫と生産の管理をExcelで行っていたとします。担当者の手作業に頼っていて、月末の棚卸には残業が発生している。そこで、生産管理システムの導入を検討することになりました。

3社から提案を受けたところ、見積もりは300万円、800万円、1,500万円とばらつきます。社長はITに詳しくないため、判断材料が「金額の大小」と「担当者の感じの良さ」しかありません。結果として、真ん中の800万円の提案を選びました。無難に見える選択です。

しかし、本当に決めなければならなかったのは、次の3点でした。

  1. 何のために入れるのか。 納期遅延を減らしたいのか、棚卸の残業をなくしたいのか、属人化を解消したいのか。目的が違えば、選ぶべきシステムも変わります。
  2. 今のやり方のどこを変えるのか。 システムに業務を合わせるのか、業務に合わせてシステムを作り込むのか。後者を選ぶと費用は膨らみます。
  3. 誰が責任者として推進するのか。 現場の反発を調整し、運用ルールを決める人が要ります。

この3つは、いずれもITの知識ではなく経営の意思で決まる論点です。そして、外部のベンダーが代わりに決めることはできません。

決めないまま進むとどうなるか。現場は使い慣れたExcelに戻り、システムは保守費だけを払い続ける存在になります。社内で最も高価な置物の完成です。この結末は、技術力ではなく、判断の欠落から生まれます。

では、経営者は何を身につければよいのか

技術の専門家になる必要はありません。次の5つを押さえるだけで、判断の精度は目に見えて変わります。

1. 目的を数字で言えるようにする

「業務を効率化したい」ではなく、「月40時間の集計作業を10時間にしたい」と言えるかどうか。数字で言えれば、提案の良し悪しを自分で評価できます。

2. 「何をやめるか」をセットで決める

ITを入れると、たいてい仕事は増えます。入力が増え、確認が増える。減らす業務を決めずに導入すると、現場は「仕事が増えただけ」と受け取ります。やめることを決めるのは、経営者にしかできません。

3. わからない言葉は、その場で聞き返す

「日本語で言うと何ですか」「それをやると、うちの何がどう変わりますか」。この2つだけで十分です。答えられないベンダーや担当者がいたら、それは経営者の理解力ではなく、提案の中身のほうに問題があります。

4. 社内に「通訳」を一人つくる

技術者である必要はありません。自社の業務を理解していて、外部の提案を噛み砕いて説明できる人。その人を育て、意思決定の場に同席させることが、遠回りに見えて最短距離です。

5. 小さく試し、引き返せるようにしておく

最初から全社導入を狙わず、一部門・数か月で試す。うまくいかなければやめる。撤退の基準をあらかじめ決めておけば、失敗が「損失」ではなく「情報」になります。

結論が変わる場面もあります

ここまで一般的な話としてまとめましたが、最適な進め方は会社の規模、業種、人材の状況によって変わります。

特に中小企業では、専門人材を自社で抱えるより外部を活用するほうが合理的な場面が多くあります。外部に任せること自体は、まったく問題ありません。

ただし、「委託」と「丸投げ」は違います。目的と優先順位を自社で決めたうえで実行を委ねるのが委託、決めること自体を預けてしまうのが丸投げです。前者は戦略ですが、後者は他社の都合に自社の将来を預ける行為になります。

まとめ

経営者にITに詳しい人が少ないのは、能力や意欲の問題ではありません。ITの専門家が社外に偏在し、経営者になるキャリアの道筋にITが組み込まれず、言葉の壁が質問を封じ、効果が見えにくく、学ぶゴールも示されてこなかった。この5つが重なった結果です。

そして、この条件は変えられます。必要なのは技術の習得ではなく、目的を数字で語り、やめることを決め、わからない言葉を聞き返すという、ごく基本的な経営の所作だからです。

次にIT関連の提案を受けたら、まず一言だけ聞いてみてください。「これを入れると、うちの何が、どれだけ良くなりますか」。この質問に具体的な数字で答えが返ってくるかどうかで、その提案の価値の大半は判断できます。ITを経営戦略にする第一歩は、勉強を始めることではなく、問いを立てることです。

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