「誤った指示書に気づかなかった作業者」を責める前に

製造業の現場で、こんな場面に出会うことがあります。

作業指示書のとおりに作業を進めたところ、後から指示書そのものが誤っていたことが判明し、逸脱(規定からの外れ)として扱われた。そして、振り返りの会議で出てくる言葉が、これです。

「なぜ作業者は、指示書の間違いに気づかなかったのか」

一見、もっともな問いに聞こえます。ですが、少し冷静に考えてみると、不思議な話ではないでしょうか。指示書が間違っていたのに、責められているのは指示書に従った作業者である、という構図です。

今回は、この「ありがちな結論」がなぜ危険なのか、そして本当に見直すべきはどこなのかについて、できるだけわかりやすくお話ししたいと思います。

第1章:そもそも、指示書とは何のためにあるのでしょう

作業指示書というのは、「これに従って作業すれば、正しく仕事ができる」という前提でつくられた文書です。当たり前のことを言っているようですが、ここがとても大事なポイントです。

もし指示書が「ときどき間違っているかもしれないので、作業者が自分の判断で確認してください」というものであれば、そもそも指示書を作る意味が薄れてしまいます。それぞれの作業者が、自分の経験と勘で判断して作業することになり、品質はばらばらになります。

指示書というのは、「これに従ってください」と組織が作業者に約束した文書なのです。だからこそ、作業者はそれを信じて作業します。

ところが、いざ指示書が間違っていて問題が起きると、突然「作業者がもっと注意していれば」という話になる。これは、約束を破った側が、信じた側を責めているようなものではないでしょうか。

第2章:「気づかなかった作業者」で原因を止めてしまう怖さ

逸脱の振り返りで「作業者が気づかなかったことが原因」と結論づけてしまうと、何が起こるでしょうか。

対策はおそらく、こうなります。

「作業者への教育を強化する」 「指示書をよく読むよう注意喚起する」 「ダブルチェックを徹底する」

どれも、もっともらしく聞こえます。ですが、これらの対策では、肝心な問題が解決していません。

なぜなら、「なぜ指示書が間違っていたのか」という、本当の原因に手をつけていないからです。

たとえるなら、信号機が壊れて事故が起きたときに、「もっと注意して運転しなさい」とドライバーに呼びかけているようなものです。注意喚起も無駄ではありませんが、まず直すべきは信号機ではないでしょうか。

「気づかなかった作業者」で原因の追究を止めてしまうと、間違った指示書はまた作られます。次の作業者がたまたま気づけば事なきを得ますが、気づかなければまた逸脱が起こります。そして、また誰かが責められます。これでは、いつまでたっても同じことの繰り返しです。

第3章:本当に問うべき「なぜ」

では、本当に問うべきことは何でしょうか。それは、「なぜ間違った指示書が、作業現場まで届いてしまったのか」です。

ここを掘り下げると、いろいろなことが見えてきます。たとえば、こういった問いです。

その指示書は、誰が作りましたか。 作った人は、内容を確認するための十分な情報を持っていましたか。 作った後、誰かがチェックする仕組みはありましたか。 チェックする人は、本当に内容を理解できる人でしたか。 それとも、形式的にハンコを押しているだけでしたか。 過去にも似たような間違いはありませんでしたか。あったとすれば、そのときの対策は機能していますか。

これらを一つひとつ問い直していくと、たいていの場合、作業者ではなく、指示書を作って届けるまでの仕組みのどこかに弱点が見つかります。

たとえば、こんな例があります。

ある製造現場で、作業指示書に記載されたロット番号が誤っていました。本来使うべき原料のロット番号とは別の番号が指示書に書かれており、作業者はその指示書のとおり、書かれた番号の原料を使って作業を進めました。後の工程で違いが発覚し、逸脱として扱われたのです。

振り返りの場では、「作業者がロット番号を見て、おかしいと気づくべきだった」という意見が出ました。ですが、よく考えてみてください。作業者から見れば、指示書に書かれた番号は「正しい番号」として渡されたものです。何百ある原料のロット番号のうち、どれが今日使うべき正しい番号なのかは、指示書を信じる以外に判断のしようがありません。

では、なぜ間違ったロット番号が指示書に載ったのか。たどっていくと、指示書を作成する際に前回の製造記録から番号を転記したのですが、別の製造の記録と取り違えていたことがわかりました。さらに、作成された指示書は承認者に回されていたものの、承認者はロット番号まで一つひとつ照合してはおらず、書式と全体の整合性をざっと見てサインしていました。

つまり、間違ったロット番号は、転記ミスを誰も止められない仕組みのなかで、現場まで素通りで届いていたのです。

このとき、本当の原因はどこにあるでしょうか。

ロット番号を見抜けなかった作業者でしょうか。それとも、転記ミスが起きやすい作業手順や、ロット番号の照合が抜け落ちていた承認プロセスでしょうか。少なくとも、現場で指示書を受け取って作業した方の責任とは、なかなか言いにくいはずです。

第4章:作業者に「指示書を疑え」と求めることの矛盾

ここで一つ、考えていただきたいことがあります。

もし、作業者が指示書を疑いながら作業するようになったら、現場はどうなるでしょうか。

「このロット番号、本当に合ってるのかな」 「いつもと違うけど、これでいいのかな」 「念のため、上司に確認しよう」

一見、慎重で良いことのように思えます。ですが、これを全員が、すべての指示書に対して行ったらどうでしょう。作業は止まり、上司は確認の電話やメールに追われ、生産性はがた落ちです。

そもそも、指示書を信じて作業することと、指示書を疑って確認することは、両立しにくいのです。組織として「指示書を信じて作業してください」と言いながら、何かあると「なぜ疑わなかったのか」と責める。これは、作業者にとってはかなり理不尽な話です。

もちろん、明らかにおかしいと感じたときに確認することは大切です。ですが、それは「指示書を疑え」という意味ではなく、「気づいたことがあれば声を上げられる雰囲気をつくる」という話です。これは、指示する側がつくる文化の問題なのです。

第5章:指示する側ができること

では、指示する側、つまり管理職や経営者の立場にある方は、何をすればよいのでしょうか。

まず一つ目は、逸脱が起きたときの「なぜ」を、最低でも3回は繰り返すことです。「作業者が気づかなかった」で止めず、「なぜ間違った指示書が作られたのか」「なぜそれが現場に届いたのか」と掘り下げる。これだけで、見えてくるものがまるで違ってきます。

二つ目は、指示書を作る人と承認する人の業務量を見直すことです。忙しすぎる人に丁寧な仕事を求めるのは無理があります。ロット番号のような、間違えると致命的になりやすい項目については、転記に頼らない仕組み(システムからの自動転記や、二人での読み合わせなど)を取り入れることも有効です。ミスが起きにくい環境をつくるのは、現場ではなく管理する側の仕事です。

三つ目は、「責める文化」から「学ぶ文化」への切り替えです。逸脱が起きたとき、犯人探しをするのではなく、仕組みのどこに弱点があったかを一緒に探す。この姿勢があるかないかで、現場からの情報の上がり方が大きく変わります。責められるとわかっていれば、人は問題を隠します。学びにつながるとわかれば、人は問題を共有してくれます。

四つ目は、自分が指示書を作る立場にあるとき、自分の作ったものが間違っている可能性を常に意識することです。人間は誰でも間違えます。「自分は大丈夫」と思った瞬間が、一番危ないのかもしれません。

おわりに:責める相手を間違えないために

逸脱が起きたとき、「気づかなかった作業者が悪い」で終わらせてしまうのは、ある意味とても楽な結論です。一人を責めれば話が済みますし、仕組みを見直す手間もかかりません。

ですが、それでは現場は良くなりません。同じ間違いはまた起こり、また誰かが責められ、現場の空気は少しずつ重くなっていきます。優秀な作業者ほど、「ここで頑張っても報われない」と感じて去っていくでしょう。

指示書という、組織として作業者に渡した「約束」が間違っていたのなら、まず見直すべきは、その約束を作った側、届けた側です。作業者を責める前に、「自分たちの仕組みのどこに弱点があったのか」を問い直す。この順番を間違えないことが、強い現場をつくる第一歩ではないかと思います。

「気づかなかった作業者」を責めたくなったとき、ほんの少しだけ立ち止まって、別の問いを立ててみていただければ幸いです。

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