「この業務は○○さんに聞かないとわからない」
こういうセリフ、社内で飛び交っていませんか?
どの会社にも一人くらいいるものです。経理のことなら何でも知っているベテラン社員、取引先との窓口を一手に引き受けている営業担当、あるいは社長自身が「これは俺じゃないとできない」と思い込んでいるケースもあります。
もちろん、長年の経験で培った知識や人脈は貴重なものです。それ自体は何も悪くありません。
問題は、その状態に本人が気持ちよくなってしまうことです。
「自分がいないと会社が回らない」という感覚は、正直に言ってしまえば、ちょっと気持ちいいものです。誰だって必要とされたい。頼りにされたい。「○○さんがいなかったらどうなるか……」と周囲にささやかれるのは、ある種の快感ですらあります。
しかし、この気持ちよさこそが、会社にとっての大きなリスクになります。今回はそんな「業務の属人化」と「天狗化」について書いてみたいと思います。
第1章 情報は本来、無料である
少し乱暴な言い方をしますが、情報というのは基本的に「無料」です。
もちろん、世の中にはお金を払わないと手に入らない情報もあります。専門書を買ったり、セミナーに参加したりして得る知識は、それなりの投資が必要です。
ただ、社内の業務に関する情報はどうでしょうか。
「この取引先への請求書はこのフォーマットで出す」「あの機械は毎月15日にメンテナンスが必要」「入金の確認はこの手順でやる」——こうした業務上の情報は、別に国家機密でも何でもありません。本来は誰でも知っていていい情報です。むしろ、みんなが知っているべき情報です。
ところが、この「みんなが知っているべき情報」を、特定の誰かが独占している状態が生まれることがあります。そして厄介なのは、独占している本人がそれを自分の価値だと思い始めることです。
「この仕事は自分にしかできない」→「自分は特別な存在だ」→「だから自分の言うことを聞くべきだ」
こういう三段論法が、本人の頭の中でいつの間にか完成してしまいます。
冷静に考えれば、「たまたまその人しかやっていなかっただけ」ということが大半なのですが、長年やっているうちにそれが「能力」にすり替わってしまうのです。
第2章 天狗の鼻は、会社の通路をふさぐ
業務を独占している人が天狗になると、具体的にどんなことが起きるのか。いくつか典型的なパターンを挙げてみます。
まず、人に教えなくなります。
これが一番わかりやすい弊害です。教えてしまったら自分の存在価値がなくなる——そう感じるので、意識的にか無意識的にか、情報を出さなくなります。「見て覚えろ」「自分で考えろ」という言葉は、教育方針として言っている場合もありますが、単に教えたくないだけということも少なくありません。
次に、周囲が意見を言えなくなります。
「○○さんに逆らうと仕事が回らなくなる」という空気ができあがると、多少おかしいと思っても誰も口を出せなくなります。その人のやり方が非効率であっても、時代に合っていなくても、「まあ○○さんがそう言うなら……」で通ってしまう。これは組織として非常に不健全な状態です。
そして最も怖いのが、その人がいなくなったときです。
病気、退職、転職、あるいはもっと深刻な事態。理由は何であれ、その人が突然いなくなる可能性は常にあります。そのとき、誰も業務の内容を知らないとどうなるか。答えは想像するまでもないでしょう。
天狗の鼻は伸びれば伸びるほど、会社の通路をふさぎます。周りの人は横を通れなくなり、やがてその通路自体を避けるようになります。組織の中に「触れてはいけない聖域」ができてしまうのです。
第3章 ある経理担当者の話
ひとつ、よくある例を紹介します。
ある中小企業に、20年以上勤めている経理担当者がいました。仮にAさんとしましょう。Aさんは経理業務のすべてを一人でこなしており、会計ソフトの使い方から取引先ごとの支払い条件、税理士とのやり取りまで、すべてAさんの頭の中にありました。
社長は「Aさんがいるから安心だ」と思っていましたし、Aさん自身も「自分がこの会社の経理を支えている」という自負がありました。
問題が起きたのは、Aさんが体調を崩して急に1ヶ月ほど休むことになったときです。
残された社員は途方に暮れました。請求書の発行手順がわからない。振込先のリストがどこにあるかわからない。会計ソフトのパスワードすら誰も知らない。社長が慌てて税理士に連絡しましたが、税理士もAさん経由で情報を受け取っていたので、細かい部分はわからないと言います。
結果として、取引先への支払いが遅れ、信用に傷がつきかけました。
Aさんは悪い人ではありません。むしろ真面目で責任感の強い方です。ただ、「自分がしっかりやればいい」と思い続けた結果、情報が完全に一人の中に閉じ込められてしまった。そして周囲も、Aさんに任せておけば安心だという甘えがあった。
これは誰か一人が悪いという話ではなく、組織として情報を共有する仕組みがなかったという話です。
ちなみに、Aさんが復帰した後も、しばらくはご本人の天狗の鼻が元に戻りませんでした。「やっぱり私がいないとダメでしょう?」と。——いえ、Aさん、それは誇ることではなくて、反省するところなんです。
第4章 天狗にならないために、天狗にさせないために
では、どうすればこの問題を防げるのか。特別なことは必要ありません。
①「引き継ぎ書」を作ることをルールにする
大げさなマニュアルでなくて構いません。「自分がやっている業務を、他の人がやるとしたら何を伝えればいいか」を紙一枚でもいいから書き出してもらう。これだけでもかなり違います。
ポイントは、「辞めるときに作ればいい」ではなく、今すぐ作るということです。引き継ぎ書は、辞める人のためではなく、残る人のためのものです。
②定期的に業務を交代する
ずっと同じ人が同じ業務をやっていると、属人化は必然的に進みます。半年に一度でも、一年に一度でもいいので、業務の一部を他の人に経験してもらう。完璧にこなせなくても構いません。「なんとなくわかる」という人が一人でもいるだけで、リスクは大幅に減ります。
③「あなたにしかできない」を褒め言葉にしない
これは経営者や管理職の方に特にお願いしたいことです。「○○さんにしかできないよね」という言葉は、一見すると褒めているように聞こえます。でも実際には、その人に業務を押し付け、同時に天狗にさせる言葉でもあります。
本当に褒めるべきは、「自分のやり方を周りにちゃんと共有できる人」です。
おわりに——知識を抱え込む人より、知識を配れる人が強い
繰り返しになりますが、社内の業務情報は国家機密ではありません。本来は無料で、誰もがアクセスできるべきものです。
それを独占して「自分は特別だ」と思い込むのは、本人にとっても会社にとっても不幸なことです。本人は「自分がいなくなったら困るだろう」と思っているかもしれませんが、実際にいなくなって困るのは、本人ではなく周りの人たちです。そしてその状況を作ったのは、情報を共有しなかった本人と、共有させなかった組織の両方です。
知識を抱え込んで偉そうにしている人は、一見すると頼もしく見えるかもしれません。でも、本当に頼もしいのは、自分の知識を惜しみなく周りに伝えて、「自分がいなくても大丈夫」という状態を作れる人です。
「自分がいなくても回る組織」を作ることは、自分の価値を下げることではありません。むしろ、そういう仕組みを作れる人こそが、組織にとって最も価値のある人材です。
天狗の鼻は、本人が思っているほどかっこいいものではありません。周りから見ると、ただ通路が狭くなって迷惑なだけです。
もし心当たりがある方は、今日からでも少しずつ、自分の業務を「見える化」してみてください。それだけで、あなたの会社は一歩、強くなります。

ミタスサポート事務所代表。富山県で中小企業向けに経営とIT支援を行っています。
中小企業診断士/ITストラテジスト/情報処理安全確保支援士。
確かな知識と実務経験を元に、役立つ情報を随時発信中。
小さな事業者向けに小回りの利くITサービスやサイバーセキュリティ対策に力を注いでいます。

