「うちもそろそろデジタル化しないとね」「DXって言われても、何から始めればいいのやら」。最近、こんな声をよく耳にします。
世の中にはIT活用のノウハウがあふれています。業務アプリ、クラウド、AI……どれも魅力的ですが、実は多くの人が見落としている「土台」があります。
それが、キーボードを見ないで文字を打つ技術、いわゆる「ブラインドタッチ(タッチタイピング)」です。
「え、いまさらタイピング?」と思われたかもしれません。しかし、どんなに便利なツールを導入しても、最終的に人間がコンピュータに指示を出す手段の多くは、キーボードです。ここが遅いと、すべてが遅くなります。
家づくりに例えるなら、ITツールは「立派な家具」、タイピングは「床」です。床がガタガタの家に高級ソファを置いても、座り心地は悪いままなのです。
今回は、なぜブラインドタッチが大事なのか、そしてどうすれば身につくのかを、できるだけわかりやすくお伝えします。
第1章 なぜ今さらブラインドタッチなのか
音声入力やAIがあっても、キーボードはなくならない
「音声入力があるから、タイピングは要らないのでは?」というご意見もあるでしょう。確かに音声入力は進化しています。
しかし、静かなオフィスで一人だけ「オセワニナッテオリマス、マルマルカブシキガイシャノ……」と話し続けるのは、なかなか勇気が要ります。周囲の視線も気になりますし、電話中の同僚には迷惑です。
また、AIに文章を作ってもらうにしても、AIへの指示(質問文)はキーボードで打つ場面がまだまだ多いのが現実です。つまり、AI時代になっても「速く正確に文字を打てる人」が有利という構図は、当面変わりません。
「考えるスピード」で書けるようになる
ブラインドタッチの本当の価値は、単なるスピードアップではありません。
キーボードを見ながら打つ場合、頭の中はこうなっています。
「えーと、『か』はどこだっけ……あった。次は『ん』……」
つまり、考える作業と、キーを探す作業を行ったり来たりしているのです。これでは、せっかく頭に浮かんだ良い文章も、キーを探している間に消えてしまいます。
一方、ブラインドタッチができると、指が勝手に動いてくれるので、頭は「何を書くか」だけに集中できます。文章の質そのものが上がるのです。これは、自転車に乗れるようになると「バランスを取ること」を意識せず「どこへ行くか」だけ考えられるのと同じです。
画面を見ているから、ミスに気づける
もうひとつ、見落とされがちな効果があります。それは誤変換にすぐ気づけることです。
キーボードを見ながら打っていると、画面を見るのは打ち終わった後。その結果、とんでもない変換ミスが完成してから気づく、あるいは気づかないまま送信してしまうことになります。
「お世話になっております」と打ったつもりが「尾瀬話になっております」。取引先に突然、群馬と福島の県境の湿原の話を始めてしまうわけです。相手も「え、尾瀬の話でしたっけ?」と混乱します。
ブラインドタッチなら、視線は常に画面にありますから、変換した瞬間に「おっと、湿原になっている」と気づけるのです。
第2章 タイピングが遅いと、こんなに損をする(具体例)
ここで、よくある例をひとつご紹介します。特定の誰かの話ではなく、多くの職場で見られる一般的な光景です。
ある事務スタッフ・Aさんの一日
Aさんは、キーボードを見ながら人差し指2本で入力する、いわゆる「雨乞いスタイル」(上から指を振り下ろす姿がそう見えるため、勝手にそう呼んでいます)の使い手です。仕事は丁寧で、人柄も良い。ただ、入力だけが遅い。
Aさんの一日を見てみましょう。
- 朝:メールの返信10件に 90分
- 午前:会議の議事録作成に 2時間
- 午後:見積書や報告書の作成に 2時間半
合計6時間。一日の大半が「文字を打つ時間」に消えています。
仮に、ブラインドタッチを身につけて入力速度が2倍になったとしましょう。単純計算で、この6時間が 3時間 になります。
1日3時間、1か月なら約60時間、1年なら約720時間。720時間といえば、丸1か月分の労働時間に相当します。つまりAさんは、タイピングが遅いというだけで、1年のうち1か月分を「キーを探す旅」に費やしていたことになるのです。
会社全体で考えると、もっと大きい
これが社員10人の会社で、全員が似たような状況だったらどうでしょうか。年間7,200時間。新しい設備投資をしなくても、採用をしなくても、タイピングの練習だけで、社員1人分に近い時間が生まれる計算になります。
もちろん、これはかなり単純化した計算です。実際には全員が2倍になるわけではありません。それでも、「たかがタイピング」が経営に与える影響の大きさは、伝わるのではないでしょうか。
高いシステムを導入する前に、まず床を張り替える。それだけで家全体が見違えることは、よくあるのです。
第3章 ブラインドタッチ習得の3ステップ
「でも、いまさら覚えられるの?」というのが正直なところだと思います。ご安心ください。ブラインドタッチは才能ではなく、正しい手順で練習すれば誰でも身につく技術です。目安は、1日15分の練習を1〜2か月ほどです。
ステップ1:ホームポジションを覚える(最初の1週間)
キーボードの「F」と「J」のキーを触ってみてください。小さな突起がありますね。これは飾りではなく、「ここに人差し指を置いてください」という目印です。
左手の人差し指を「F」、右手の人差し指を「J」に置き、残りの指を隣のキーに順に並べます。これがホームポジション、すべての基本となる「指の定位置」です。
どのキーをどの指で打つかは、実はすべて決まっています。最初は窮屈に感じますが、この「決まった指で打つ」ことこそが、見ないで打てるようになる秘密です。野球のグローブと同じで、最初は固くても、使ううちに手に馴染んできます。
ステップ2:見ないで打つ勇気を持つ(2〜4週間目)
ここが最大の関門です。「絶対にキーボードを見ない」と決めてください。
最初は、打つスピードが今までの半分以下に落ちます。ミスも増えます。「見たほうが速いのに」と何度も心が折れそうになります。ここで多くの人が挫折します。
しかし、これは自転車の補助輪を外した直後と同じです。一時的にフラフラするのは、上達している証拠。この「一時的に遅くなる期間」を乗り越えた人だけが、その先の世界に行けます。
どうしても手元が気になる方は、キーボードの上にハンカチをかけるという荒療治もあります。見た目は少々怪しい人になりますが、効果は抜群です。
ステップ3:毎日15分、練習サイトで遊ぶ(1〜2か月目)
今は、無料で使えるタイピング練習サイトがたくさんあります。ゲーム感覚で楽しめるものも多く、スコアが出るので上達が目に見えます。
大事なのは、長時間やるより、毎日少しずつ続けること。1日15分で十分です。歯磨きと同じで、習慣にしてしまえば勝ちです。
そして、練習と並行して、日常の仕事でも「見ないで打つ」を貫いてください。実戦こそ最高の練習です。
第4章 挫折しないための3つのコツ
最後に、続けるためのコツを3つご紹介します。
1. スピードよりも「正確さ」を優先する
速く打とうとしてミスを連発すると、修正に時間がかかり、かえって遅くなります。まずは「ゆっくりでも正確に」。スピードは後から必ずついてきます。
2. 記録をつける
練習サイトのスコアをメモしておきましょう。1週間前の自分と比べると、確実に成長しているのがわかります。人間、数字が伸びると嬉しくなって続けたくなるものです。体重計と違って、こちらの数字は増えるほど喜べます。
3. 職場で一緒にやる仲間を作る
一人だと挫折しがちなことも、仲間がいれば続きます。職場でスコアを競い合えば、ちょっとしたゲーム大会です。気づけば社内全体の生産性が上がっている、という一石二鳥も狙えます。
おわりに――地味な基本こそ、最強の投資
ITに強くなる、と聞くと、最新のツールや難しい知識を思い浮かべがちです。しかし、本当の第一歩は、もっと地味なところにあります。
ブラインドタッチは、一度身につければ一生使える技術です。しかも、必要な投資は「1日15分の練習時間」だけ。これほど費用対効果の高い投資は、なかなかありません。
パソコンに向かうすべての時間が、少しずつ速く、少しずつ快適になる。その積み重ねが、1年後には大きな差になります。
まずは今日、「F」と「J」の突起に指を置くところから始めてみませんか。
その小さな突起が、ITに強くなるための、最初の道しるべです。

ミタスサポート事務所代表。富山県で中小企業向けに経営とIT支援を行っています。
中小企業診断士/ITストラテジスト/情報処理安全確保支援士。
確かな知識と実務経験を元に、役立つ情報を随時発信中。
小さな事業者向けに小回りの利くITサービスやサイバーセキュリティ対策に力を注いでいます。

