「あの人しかできない」をなくす第一歩 ~手順書が会社を守る理由~

「手順書を作りましょう」と言われて、素直に「はい、喜んで!」と答えられる方は、おそらくあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。

多くの現場では、「作った方がいいのはわかっているけれど、そんな時間はない」「口で教えた方が早い」「うちは小さい会社だから大丈夫」といった声が聞こえてきます。気持ちはとてもよくわかります。目の前の仕事に追われている中で、手順書づくりは「大事だけど急ぎではない」仕事の代表格だからです。

しかし、この「大事だけど急ぎではない」を放置した結果、思わぬ場面で会社が困ることになる、というのが今回のお話です。本記事では、なぜ手順書が必要なのか、そして「忙しくて作れない」という壁をどう乗り越えればよいのかについて、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

第1章 手順書がないと、何が起きるのか

1-1. 「あの人しかわからない」問題

手順書がない職場でもっとも多く起きるのが、「あの人しかわからない」という状態です。いわゆる属人化(ぞくじんか)と呼ばれるものです。

たとえば、こんな光景に見覚えはないでしょうか。

ある会社で、経理のベテランであるAさんが風邪で急に三日間お休みしました。月末の支払い処理が迫っています。他のメンバーが代わりにやろうとしても、パソコンのどこに何のファイルがあるのか、どの順番で処理するのか、取引先ごとの細かい注意点は何なのか、誰もわかりません。結局、寝込んでいるAさんに電話で聞きながら、熱でうなされる声を頼りに作業するはめになりました。

これは笑い話のようですが、実際の現場ではかなり近いことが起きています。Aさんにとっても会社にとっても、誰ひとり幸せにならない状況です。

1-2. 新人さんが育たない

手順書がないと、新しく入った方への教育もどうしても口伝えになります。教える側は毎回同じ説明を繰り返し、教わる側は必死でメモを取ります。そして、せっかく書き溜めたメモも、一か月も経つ頃には本人が全部覚えてしまい、結局は引き出しの奥で眠ることになります。つまり、次に入ってくる新人さんのためには何も残らない、ということです。

さらに困るのは、教える人によって言うことが違う、という現象です。「Aさんは右から処理すると言ったのに、Bさんは左からだと言う」といった具合です。新人さんからすれば、入社早々「社内政治」の気配を感じ取るはめになり、仕事以前に精神的に疲れてしまいます。

1-3. ミスが減らない、品質が安定しない

手順書がないと、同じ仕事をしていても人によって、あるいは日によって、やり方が微妙に違ってきます。結果として、ミスの原因がどこにあるのか突き止めにくく、「気をつけよう」「次は頑張ろう」といった、気合いに頼った再発防止策しか出てきません。

気合いは大切ですが、気合いだけで品質を守り続けるのは、さすがに無理があります。

第2章 手順書は「誰のため」に作るのか

ここで大事なのは、手順書は「新人のため」だけに作るものではない、ということです。もちろん新人教育でも役立ちますが、本当の価値はもっと広いところにあります。

一つ目は、会社の財産を残すためです。ベテランの頭の中にある知識や工夫は、会社にとって大切な財産です。ところが、その方が退職されたり、休職されたりした瞬間に、財産ごと消えてしまいます。手順書は、その財産を会社の形で残す仕組みです。

二つ目は、自分自身を休ませるためです。「自分しかできない仕事」を抱え込んでいる方は、責任感の強いとても優秀な方です。しかし、その状態ではうかつに休めません。風邪をひいても、旅行に行っても、スマートフォンが鳴り続けます。手順書を作ることは、実は自分を縛っている鎖をほどく行為でもあるのです。

三つ目は、仕事を見直すきっかけにするためです。手順書を書こうとすると、「あれ、なんでこの作業、こんなにややこしいんだっけ?」「これ、実はいらない工程では?」といった気づきが次々と出てきます。手順書づくりは、業務改善の入り口そのものなのです。

「ベテランばかりだから大丈夫」は、実はいちばん危ない

ここで、「うちは全員ベテランで、もう体に染みついている。今さら手順書なんて要らない」とお考えの方に、ぜひお伝えしたいことがあります。全員が仕事を覚えている職場にこそ、手順書には別の大きな意味が出てきます。それは、評価や改善の「ものさし」になるという役割です。

手順書がない職場では、仕事ができる・できないの判断は、どうしても「人と人の比較」になります。「Aさんに比べてBさんは遅い」「Cさんはミスが多い」といった具合です。これは一見わかりやすいのですが、実はかなり危ない話でもあります。比較の基準が「社内でいちばん手際のよい人」になってしまうため、その方のやり方が本当に正しいのかどうかは、誰も検証できないままになるからです。

ところが手順書があると、比較の相手が「人」から「手順書」に変わります。「手順書に対して、この人はここが抜けやすい」「逆に、この人は手順書にないひと手間を加えている」というふうに、冷静に見られるようになるのです。

ここで面白いのは、仕事ができる方の作業も可視化される、という点です。手順書と突き合わせてみると、「このベテランは手順書にない確認をもう一つしている。だからミスが少ないのか」という発見があったり、逆に「長年やっているうちに、本当はいらない作業を律儀に続けていた」ということが見えてきたりします。社内で「仕事が速い」と評判の方が、実は昔の名残でいらない作業を全力でこなしているだけだった、という少し切ない発見もあり得ます。

つまり手順書は、できない方のレベルを引き上げる道具であると同時に、できる方の暗黙知を会社の知恵として取り出す道具でもあるわけです。「ベテランの技は、ベテランの頭の中にあるうちは、会社の財産ではなく個人の持ち物」と言い換えてもよいかもしれません。手順書にして初めて、会社のものになります。

第3章 「忙しくて作れない」をどう乗り越えるか

さて、ここからが本題かもしれません。必要性はわかっていても、作る時間がない。これが多くの現場の本音です。そこで、ハードルを思いきり下げる方法をいくつかご紹介します。

3-1. 完璧を目指さない

まず大事なのは、「立派な手順書を作ろう」と思わないことです。製本されたマニュアルのような、分厚くて美しい資料を最初から目指すと、ほぼ確実に挫折します。

目指すべきは、「他の人がこれを見れば、だいたい同じようにできる」というレベルです。ワードでもエクセルでもメモ帳でも、なんならノートに手書きでも構いません。完成度よりも、まず存在することが大切です。

3-2. 作業をしながら書く

手順書を作るために、わざわざ時間を取って机に向かう。この発想だと、まず続きません。おすすめなのは、「今やっている作業を、そのまま記録する」という方法です。

パソコン作業なら、一つひとつの画面を画像で残しながら、簡単な説明を添えていく。手作業なら、スマートフォンで写真を撮りながら、あとで箇条書きにまとめる。これだけでも立派な手順書になります。わざわざ思い出して書こうとすると大変ですが、やりながら残すのであれば、かかる時間は作業時間のプラス1〜2割ほどで済みます。

3-3. 一番困っている仕事から手をつける

すべての業務を手順書にしようとすると、途方もない作業量になります。ですから、最初は「この人が休んだら会社が止まる」という業務から取りかかるのが鉄則です。

優先順位の目安としては、属人化の度合いが高く、かつミスが起きた時の影響が大きい仕事から、ということになります。逆にいえば、誰がやってもすぐできる仕事は、後回しで構いません。

3-4. 担当者本人に書いてもらう

経営者や管理職の方がすべて書こうとすると、これもまた続きません。一番その仕事に詳しいのは、担当者ご本人です。ですから、「あなたのお仕事を、あなた以外の人にも引き継げる状態にしてください」とお願いするのが一番です。

このとき、「来月から別の部署に異動してもらいます」と本気で言ってしまうと大騒ぎになりますので、「もしもの時に備えて」という柔らかい伝え方をおすすめします。

第4章 手順書は「生き物」です

最後に、ひとつだけ大事なことをお伝えします。

手順書は、一度作って終わりではありません。業務のやり方が変われば、手順書も変えないと、むしろ邪魔な存在になってしまいます。「手順書通りにやったのに失敗した」となれば、せっかくの信頼も失われてしまいます。

ですから、定期的に見直す仕組みをあわせて作っておくことが大切です。たとえば、半年に一度、担当者が自分の手順書を読み返して、違っているところを修正する日を決めておく。こうしたちょっとした習慣が、手順書を「生きた道具」として機能させるカギになります。

おわりに

手順書は、特別な会社だけが持つ贅沢品ではありません。むしろ、人手が限られている小さな組織ほど、誰かが倒れた時のダメージが大きく、手順書の恩恵を受けやすいとも言えます。また、全員がベテランの職場であっても、「自分たちのやり方を一度紙に書き出してみる」という作業そのものが、会社の知恵を磨き直す絶好の機会になります。

「忙しくて作れない」は、ほとんどの場合、本当に忙しいから作れないのではなく、「どこから手をつけていいかわからない」が正体です。まずはご自分の仕事の中で、一番「自分しかできない」と思っている業務をひとつ選び、次に同じ作業をするときに、画面の画像や箇条書きを残してみてください。

その一枚のメモが、将来あなたやあなたの会社を救うことになるかもしれません。立派なマニュアルではなく、たった一枚のメモから。手順書づくりは、そこから始まります。

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