フィジカルAIは「体」、仕組みは「神経」 ― ロボットが使い物になる会社の条件

最近、「フィジカルAI」という言葉を耳にする機会が増えてきました。これまでのAIが、文章を書いたり画像をつくったり、いわば「画面の中」で活躍する存在だったのに対し、フィジカルAIは現実の世界で実際に体を動かすAIのことを指します。腕を持ったロボットがモノを運んだり、自走する機械が倉庫の中を動き回ったり、といったイメージです。

こうした技術が身近になると、多くの方が「うちにも導入すれば、人手不足が一気に解決するのではないか」と期待されます。その期待そのものは、とても自然なものだと思います。

ただ、ここで一つだけ、声を大にしてお伝えしたいことがあります。それは、「会社の仕組み(システム)が整っていないと、フィジカルAIはほとんど使い物にならない」という、少し意外な事実です。

しかも、これは「ロボットが高すぎる」とか「技術がまだ未熟だ」といった話ではありません。仕組みが整っていないと、せっかくの賢いロボットが、信じられないくらいアナログな仕事をさせられる羽目になるのです。今日は、その理由をできるだけわかりやすくお話ししてみたいと思います。

モノを「運ぶ」だけでは、仕事は終わらない

まず、とても大切な前提からお話しします。

たとえば、ロボットに「A地点にある荷物を、B地点まで運んでほしい」とお願いするとします。一見すると、これは「運ぶ」という単純な作業に見えます。

ですが、現場の仕事はそれだけでは終わりません。運んだあとには、必ず次のことが必要になります。

「いつ、何を、どれだけ、B地点に運んだのか」を記録しておくこと。

なぜなら、この記録がないと、後から「あの荷物は、いま一体どこにあるのか」がわからなくなってしまうからです。何がどこにあるかわからない倉庫は、もはや倉庫として機能しません。「確かに運んだはずだが、記録がないので追いかけられない」という状態は、現場にとって悪夢です。

つまり、モノを運ぶ仕事には、必ず「記録して、後から追いかけられる(これをトレースと言います)」という、目には見えないもう一つの仕事がセットでついてくるのです。ここが今日のいちばんのポイントです。

システム化されていないと、ロボットは「紙に書いて、判子を押す」

さて、ここからが本題です。

もし会社の仕組みがきちんと整っていない、つまり「情報を記録して管理する仕組み(システム)」がない場合、その大切な記録は、どこに残すことになるでしょうか。

——そう、です。

すると、どうなるか。せっかく導入した最新のロボットが、荷物をB地点に運んだあとに、こんなことをやり始めます。

まず、台帳のような紙を一枚取り出します。そして、精密なアームでペンを握り、「本日、商品Xを、十個、B地点へ運搬しました」と、まっすぐ丁寧に書き込みます。字はとてもきれいです。曲がりません。最後に、自分の仕事を自分で確認し、承認の意味を込めて——ぺたん、と判子を押すのです。

運ぶのも自分。記録するのも自分。それを承認する判子を押すのも、自分。たった一台のロボットが、運搬係と記録係と承認係を、一人三役で律儀にこなしている。なかなかにシュールな光景です。

ここでお伝えしたいのは、「記録すること」や「承認すること」が無駄だ、ということではありません。記録もトレースも、本当に必要なことです。問題は、仕組みがないせいで、その必要な情報を『紙』という形でしか残せない、という点にあります。

紙に書かれた情報は、その紙のある場所にしか存在しません。他の人がすぐに見ることも、他の機械が読み取ることも、簡単にはできません。結果として、ロボットの優れた「運ぶ力」が、紙とにらめっこする地味な事務作業のために、もったいなく使われてしまうのです。

システム化されていれば、情報がぐるりと一周する

では、会社の仕組み(システム)がきちんと整っていると、同じ場面はどう変わるのでしょうか。

今度は、こうなります。

まず、システムのほうから「商品Xを十個、A地点からB地点へ運んでください」という出庫の指示が出ます。ロボットは、その指示をデータとして読み取ります。紙のメモを誰かが手渡す必要はありません。

ロボットは指示どおりに荷物を運びます。そして運び終えると、「商品Xを十個、B地点へ運び終えました」という記録を、そのままシステムに返します。 紙に書くことも、判子を押すことも、もうありません。

こうして、「指示が出る → ロボットが動く → 記録が戻る」という情報の流れが、ぐるりと一周して自動でつながります。誰がパソコンの前にいても、いま何がどこにあるかが、その場でわかる。これが、フィジカルAIが本当に「使い物になる」状態です。

ロボットという体に、システムという神経がつながって、はじめて全体が一つの生き物のように動き出す。逆に言えば、神経のつながっていない立派な体だけがあっても、それは思うように働けないのです。

具体例 ― 情報が「人の頭の中」にある会社のお話

ここで、ごく一般的によくある例を一つ、お話しします。特定のどこかの会社ではなく、「あちこちで起こりがちなこと」として聞いていただければと思います。

念のため申し添えますと、フィジカルAIのような本格的なロボットは、まだ気軽に買える段階にはありません。ですから、いま大切なのは「買ってから困らないように、今のうちに足元を整えておく」ことです。

ある会社では、倉庫の在庫管理が、人の手で行われていました。ある社員さんはパソコンの表計算に入力し、別の社員さんは手書きの台帳に記録し、急ぎのときは「あれ、Bの棚に動かしておいたから」と口頭で共有する。情報が、紙と表計算と人の記憶に、バラバラに散らばっている状態です。

人間同士なら、これでもなんとか回っていました。ベテランの社員さんが「だいたいこのあたりにあるはず」と覚えていて、探し出せていたからです。けれど、その方が休んだ日には、別の人が倉庫中を探し回ることになります。「確かにあるはずなのに、どこにあるかわからない」という時間が、毎日少しずつ積み重なっていました。

この会社は、いずれ自動化も考えたいと思っていました。そこで、いきなり新しい機械を探すのではなく、まず「いま、どの情報が、どこに、どんな形で残っているか」を全部書き出してみることから始めました。すると、同じ在庫の数が三か所に別々に書かれていたり、誰も見ていない台帳があったりと、情報があちこちで迷子になっている様子が、はっきり見えてきたのです。

そこでこの会社は、「指示はここから出す」「結果はここに戻す」という情報の通り道を、一本に整えることにしました。すると面白いことに、その通り道が整った段階で、現場の社員さんがこう言ったそうです。

「あれ、これ……まだ何も自動化していないのに、前よりずいぶん仕事が見えるようになったね」と。

これは本質を突いています。情報がきちんと流れる仕組みを整えること自体に、すでに大きな価値があったのです。そして何より、この会社は、いつかフィジカルAIが手に入る日が来たとき、その体をすぐに乗せられる「神経」を、先に手に入れたことになります。準備のできた会社にとって、ロボットの登場は、ただの上乗せのご褒美になるのです。

では、何から始めればよいのでしょうか

「最新のロボットを買う前に、まず仕組みを整えましょう」と申し上げると、難しそうに聞こえるかもしれません。ですが、最初の一歩は、決して大げさなものではありません。

まずおすすめしたいのは、自分たちの情報が、いまどこに、どんな形で残っているかを書き出してみることです。「在庫の数は誰がどこに記録しているのか」「運んだ記録は、紙なのか、頭の中なのか、パソコンなのか」。これを並べてみるだけで、情報が紙や人の記憶にバラバラに散らばっている様子が見えてきます。

次に、その散らばった情報を、「指示が出て、結果が戻ってくる」という一本の流れにまとめていくことです。最初から完璧なシステムを目指す必要はありません。「指示はここから出す」「結果はここに戻す」という通り道を、まず一本つくる。これがフィジカルAIにとっての「神経」になります。

順番が、とても大切です。情報の通り道を整えてから、ロボットという体を乗せる。 決して逆ではありません。体を先に買ってしまうと、その体は、紙に向かって判子を押すことになります。

おわりに ― 主役は、整えられた「情報の流れ」です

フィジカルAIは、間違いなくこれからの社会を大きく変えていく技術です。けれど、それは「置けば勝手に動く魔法の道具」ではありません。指示を受け取り、結果を返せる仕組みの上でこそ、はじめて真価を発揮する道具です。

もし、ご自身の会社や職場で「ロボットを入れれば一発で解決するはずだ」という空気を感じたら、ぜひ一度、立ち止まって考えてみてください。運んだ結果を返す先は、ちゃんと用意されているでしょうか。指示は、データとして出せるようになっているでしょうか。

最新のロボットに、紙の台帳と判子を握らせてしまう前に。まずは、情報がぐるりと一周する通り道を、人間の手で整えておく。

遠回りに見えて、それが、フィジカルAIの時代をいちばん上手に乗りこなす近道なのだと、私は考えています。

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